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アジア各国のトップ企業と次々にインターネット広告事業(アドウェイズ)
日本企業のITビジネス、ネットビジネスは、意外なことだが内需ビジネスである。多くのの企業がアジアには出かけても日本のユーザー向けの仕事をしているか、現地の日系企業の仕事をしている。ところが、アドウェイズはアジアに出かけ現地のトップ企業と組み現地のインターネット広告事業を行っている。 |
― タイのインターネット広告会社をM&Aをし市場開拓 −
● 成果報酬型広告
画期的な新製品、新技術の登場は産業社会、企業の経営を一変させる。最近で最大のものは、2010年のスマートフォンの登場である。このことによりこれまで携帯電話にかかわってきた、メーカー、部品会社、設計技術者など皆影響を受ける様になる。もちろん、大規模に携帯電話にかかわってきた企業のなかには倒産する会社も出て来る。
しかも、このスマートフォンは多くがアップル製、サムソン製で輸入している。日本は、戦後始めて主たるハイテク製品を輸入している。連続して26ヶ月間貿易収支が赤字なのは、主たる理由は原発が停止していることでも、石油を輸入していることでもなく、今まで輸出をしていた電機産業が稼げなくなったことである。日本経済にも大きな影響を与えたのがこのスマートフォンの登場である。
ところで、アドウェイズは最終学歴が中学卒の岡村陽久社長がまさに金もない、人材もいない、経験もない、そんなまさにないない尽くしの4畳半からひとつひとつ積み上げた草の根のネットベンチャー企業である。
同社のインターネット広告事業、スマートフォン向け広告事業は、広告の閲覧数や資料要求の件数に応じて手数料を受け取る(カード会社だとカードの契約数)「成果報酬型広告」)で広告はしたもののどれだけ効果があったのか解からない仕組みではないため、大変好評である。
その潟Aドウェイズがこれだけの成長企業に脱皮した契機は、2010年のスマートフォンの登場である。当時、岡村社長を始め同社の経営陣は、これだけ普及し便利な日本式携帯電話が一気にスマートフォンには変わるのか。そうはならないだろう。
あるいは、携帯電話とスマートフォンの2台を持つことになるかも知れないが、携帯電話は確実に残る。少し様子を見ておこうこんな判断だった。このことは岡村社長など同社の経営陣だけでなく多くのネット企業の判断がそういう判断であだった。
● 最初にスマートフォン広告事業を始める
しかし、この時2人の社員が岡村社長に、「スマートフォンは、かならず携帯電話に取って替わります。スマートフォン向けの広告事業に会社の主力を移すべきです。」と直訴した。
これは今から考えるとしごく当たり前の話であるが、当時は困惑する話である。携帯電話とスマートフォンでは技術がまったく異なる。同社の多くの携帯電話の技術者をスマートフォン向けの技術者にシフトさせねばならない。一からやり直しは彼らに大きな抵抗も出て来る。
しかし、岡村社長はこの直訴を受け、スマートフォン向けの広告事業に会社の主力を移行させる。このことにより、同社は日本で最初にスマートフォン広告事業を行うことになった。その後、フェイスブック、LINEなどと次々と提携し、インターネット広告、スマートフォン向け広告事業で国内NO1の企業となった。なにしろ、どこもやってない時に手がけていたのが大きかった。どんどん新しい仕事が入って来た。
また、アジアを中心に11カ国、19拠点の海外展開でも同社は独自の味を出している。日本のIT企業や通信会社は 海外に進出するが日本のユーザー向けの技術を開発する、あるいは現地の日系企業へのサービス行うのが主体である。多くがアジアに出かけても現地の企業と取引をしている訳ではなく、ユーザには日系企業が圧倒的に多い。意外なことだが内向き業種なのである。
ところが、アジアに進出すると同社は現地の企業と取引することを原則としている。中国でも、韓国でも、台湾でもアジア展開では現地の大手ネットワーク会社と提携して、現地企業向けにインターネット広告事業、スマートフォン向けの広告事業を行っている。インターネット商社というビジネスモデルはアジアに出かけ、ネット技術でアジア企業と組み、その製品をアジア市場に販売するまさに海図なき航路を航海いる感がある。
● 新しいビジネスをこなすために生まれて来る
カルフフォニア州にあるアメリカの子会社「アドウェイズインターアクティブ」は、もちろんスマートフォンアプリの開発、販売、インターネット広告事業、スマートフォン広告事業も行っているが、やはり米国のスマートフォンとインターネット広告の市場調査が中心となる。この世界でも日本はアメリカの3年遅れと言われる。次の市場はやはりアメリカである。同社は、次の製品を探し出す、市場調査の役割を担っている。
それでは、タイの拠点を事例にもう少し具体的にアジア展開の状況を述べてみる。これがまた特徴的な動きをしている。まず、アドウェイズタイランドの舘野聞兵社長であるがこれがすごい。新らしい日本人のライフビジネススタイルを体現しているとも言える。
彼は、まだ30歳そこそこであるがもうすでに3箇所職場を渡り歩いている。同社が4社目である。しかもひとつひとつの職場で大きな実績を上げて来ての転進である。もちろん、アドウェイズでもこの実績を買われてタイの子会社を任された。ともかく、うまく表現はできにくいが舘野社長自体新しいビジネスをこなすためにこの世に生まれて来たかのような風情である。今風若き仕事師という感がる。
このタイの子会社は、2008年設立した地場のインターネット広告会社サーチマキシマイザーをM&Aしたところから始めている。1012年の4月に同社をM&Aした時は、舘野社長はまだアドウェイズの社員ではなかった。ゴールデンウイーク中に休暇がてら同社を見せて貰ったのが始めての出会いある。
● 早めに手堅くを実践
それから、同社に6月に入社し、5日間本社にいただけですでにタイにへの赴任となる。これは大変効率的な事業のスタートである。M&Aした会社はタイで5社しかないインターネット広告会社のひとつである。もちろん社員もユーザーも所持している。それをこなすのは若き仕事師舘野社長である。こんなビジネスシナリオをこともなげを行うアドウェイズもすごい会社である。。
ビジネスは手堅さを求めることは大事である。しかし、早目に効果的、効率的に手を打つことはもっと大事である。この早目にと手堅さは相反する側面が多い。早目に手堅く、これをクリアするためにはやはり人材が必要である。このための格好の人材が舘野社長である。
もともとM&Aをした会社のサーチマキシマイザーは現地の大手のメディア会社「フレックスメディア」の子会社であった。インターネット広告の顧客をすでに所持していた。それもソニーやカルビーなどの有力大手企業30社がある。
舘野社長は、まずここを押さえた。サーチマキシマイザーが今まで開拓して来た仕事を引き続き行う、そのサービスよりもレベルを上げて行う。まず、これで会社の維持費程度は稼げる。
アドウェイズタイランドの人材配置であるが、インターネット広告の技術部門の7名はM&Aしたサーチマキシマイザーにいた社員である。これに営業1名、経理1名を加えてトップに舘野社長を上に置いたかたちである。既存のインターネット会員2000万人の維持をいかにうまく維持させるかに注力した。
現在は、この助走期間をほぼ終えて新規事業としてスマートフォンを使ったアプリマーケティングを始め出している。この事業は出だしから好調である。なにしろ、この事業だけですぐに全体の利益の20%を稼ぎだしている。今後は、これを東南アジア全体にも拡げて行く予定である。
● わずか2年でアジアに全面展開
同様なかたちで、中国では2003年からアプリケションの自社開発やPCアフィリエイト広告「CHANET」などの運営などを行っている。中国は同社の中核拠点でメディア数30万サイト、クライアント数2300社、年間売上高15億円という大きな規模となっている。
韓国では、大手のリワード広告ネットワーク「Tnk ad Platform」と提携またアフィリエイト広告サービス「AppDriver」を展開している。台湾では、大手のブログサイトの専属代理店として発足、大手のPCリワードネットワークの「Offerme2」業務提携している。
インドネシアは、日系企業向けのITコンサルティングを中心に、ネットマーケティングのサービス、大手のアフリエイトネットワークの{CLOAP}と業務提携している。
アジアでの開発拠点としては、中国のほかにベトナムが担っている。同国の子会社「アドウェイズテクノロジー」でスマートフォンアプリケションの開発している。また、フイリピンでは日系企業向けのシステム開発、Facebookアプリの開発などを行っている。
そして、最も注目すべきなのが、これらのアジアの拠点が、中国を除くと2011年から2012年に整備したものである。日本企業でこれだけ一気にアジア拠点を築く事例はあまりない。しかもほとんどが現地マーケット向けのものである。もちろんアジアビジネスであるからすべての子会社がタイのようにうまく運んでいる訳ではない。
しかし、アジアビジネスへの意欲は買えるし、どの国でも一貫して手堅さを求めるビジネススタイルは変わらない。長期的に見るとアジアを駆け巡るインターネット商社は今後楽しみな存在 になって来る。
今月の注目企業(2)
取りあえずやってみろで拡げたアジアビジネスグランドフジキン ー 次なる経営モデルの実践
アジア企業の追い上げで、日本企業の経営モデルに大きな疑問視がついて来た。フジキンは、バルブ、半導体からチョウザメまで手がける分野も幅広く、またアジアを始め世界各国に展開するなどゴーローバル化も進める、まさに日本企業の次の経営モデルを実践している。 |
― バルブ、半導体からチョウザメの開発まで −
そんななか、バルブ、半導体からチョウザメまで手がける業務分野も幅広く、また世界各国に拠点を拡げまさに日本企業の次の経営モデルを実践しているかのような会社がある。経営戦略そのものと会社の動かし方が従来の日本企業の視点から見ると常識的ではない。その会社の名前は潟tジキン(本社、大阪市北区、野島新也社長)である、
まず、同社の手がけてる事業分野であるがこれが大変幅広い。おそらく同社の社員でもすべての事業を知る人は少ない筈でえある。同社のコア事業は、バルブ事業である。半導体用バルブ、原子力発電所用バルブ、石油化学プラント用バルブ、医療用バルブとまさにさまざまなバルブを手がける。
そして、この各分野ごとにこのバルブ事業を縦に、横に広げる。例えば、医療分野であれば遠隔医療のシステム開発を行っている。画像ファイリング、遠隔読影支援機能、電子カルテのオーダリングなど組み合わせることにより、グラウドを活用した画期的な製品している。
そしてこれだけではない。血圧計、空間線量計、脈拍モニターなど実に多くの医療、健康製品を開発、販売している。この横展開を更に拡げ、介護、淡水浄化、お菓子、チョウザメ、WEBマーケティング、出版など信じられない分野まで行っている。
なんだそんなことかと言われるかもこれが今の日本の社会では大変である。ネット時代なのに知らない人に会えなくなっている。会う能力がなくなっている。それに、セキリティーチェックで実は先方にアポがなければ建物に入るのも大変で、私も先日金融庁に行こうとしてどうしても入れず、最終的には担当者に迎えに来て貰った。
もともとフジキンは、1930年に小島準次氏が創業した配管材料、機械、金属製品の卸問屋である。しかし、大きくなった今でもこの大阪商人のDNAをそのまま残した様なバイタリティーのある会社である。
同社のベトナムのハノイ工場もやはりただものではなかった。まず、フジキンベトナムの中村政浩社長は実は同社の筑波の工場長を兼ねている。私も数多くの会社を取材したが、日本の工場長とアジアの社長を兼ねているのは始めてだ。
「もともと私は筑波の工場長だったのです。そこから、ベトナムへの出向となったのです。したがって、筑波工場の事情はよく解かります。テレビ会議を活用すると国内にいる様に連絡、指示は出来ます。しかし、会わなければならない仕事もあり、2ヶ月に一度程度帰国すればなんとか行けますね。
このやり方は、なによりも工場長(社長の)の人件費が1人分浮きますね。それに、ベトナムの工場がで作っているハイテクな産業バルグ、継手、スニットの精密加工は筑波の工場でやっているものなのです。移す側と受け取る側のトップが同じというのは大変都合が良いのです。」とこともなげに語る。
現在、フジキンベトナムはハノイ郊外にある住友商事が開発したタンロン工業団地に立地している。最初は同団地のレンタル工場に入居した。ベトナム工場がうまくいかなければすぐにでも引き上げようという賢明な進出策である。思いのほかワーカーの質も製品の精度も良かったので同団地内に土地を確保し、工場を建設した。
しかし、現在ではこの工場も手狭になったので少し離れたところにあるバクニン工業団地に第2工場を作るが、6万uが必要なところ10万u確保し残りの4万uでレンタル工場を運営する。かってレンタル工場に入居した体験を生かして、これからベトナムに進出を考えている日本企業に活用して欲しいと言う事業である。
しかし、これが単なるレンタル工場ではないことは容易に想像がつく、今度はレンタル工場の入居企業と組んで新たなビジネスを考える。また、同社は遠隔医療のシステムをタイやベトナムで販売しようとしている。考えて見たら病院や医療制度が発展していない分アジアではカルテを見て診察する遠隔医療の需要は思いのほか多いのかも知れない。
特に予想外の成果があったのが、技術力と現場対応力である。。工場内の機械設備は日本から中古のを持って来ていたが、とりたてて教えたわけでもないのに機械が故障すると彼らがいとも簡単に修理をしてしまう。それからもうひとつ大きな成果がQC活動である。最初は日本から講師を呼んでいたが、もう彼らだけでのかなりのことが消化出来るようになって来た。
ただ、苦手なのはチームプレー、ともかく皆と組んでチームでやることが得意ではない。だから常に仕事をイベント化し、何時でも誰でも主役になれるようにしておかねばなかなか各自の能力を発揮させて行くのは難しい。日本人と違い退屈なことが好きではない。
アジアの経営は、その国の国民性を理解し、その短所をカバーし、長所を伸ばすやり方を最大限の注意力をもってやらねばならない。これに尽きるとも言える。これは難しいともいえるが、フジキンの様に自然体で行うならうまくこなせるとも言える。
しかし、これだけではない。同社には、ねた&ネットづくり部門がある。このまさに次なるビジネスモデルや新製品のねたづくり、人脈づくりを専門に行う部門である。最近は、情報探査に力を入れている会社は多い。しかし、秋葉原テクニカルセンターなど全国に5ヶ所ものねた&ネットづくり部門の拠点を持っている企業は少ない。
同社の小川洋史会長、大変失礼な言い方だが一見するとどこにでもいる普通の叔父さん風であるが、話しを聞きだすとすごい言葉が飛んで来る。いわく「虚と実のバランスが大事です。目先の利益、実だけを追いかけているとおのずと経営は厳しくなる。人材も育たない。
虚が大事なのです。一見どうなるか解からない、見通しの利かない事業を、またアジア、海外事業を今手がけておかないと未来はないというよりは数年後が危ない。アジア企業の台頭とグローバル化経済の進行で昔の10年が今は3年ですね。だから経営者の仕事は、会社に実の空気が強いと虚の空気を、虚の空気が強いと実の空気を入れ込むことです。」と今後の経営のあり方を述べていただいた。
経済活動を行う世界を実業界という。実業というこの確実とも思える世界がゆらいでいる。それは、急速なグローバル化デアリ、アマゾン、グーグル、アップルなどが提起する新たなビジネスモデルであるこの流れに否応なく巻き込まれる。もはや、虚業界のことを理解しない限り先は見えなくなくなって来た。小川会長の言葉の重さがわかる。
ワンポイント
日本企業にとって中国での製造業の位置は少し微妙になって来ているが、大消費地としての位置は微動だにしない。なかでも日本仕様のサービスは中国では抜群の信頼を持つ。それは、スーパー銭湯の極楽湯が上海に進出し1年目から黒字ということからも解かる。 |
● 進出初年度度から黒字
2014年の日本企業の中国投資が対前年度比で、これも信じられないが40%の減で1兆円を大きく割り込んだ。よく言われていることだが、ほんのここ数年で、中国が世界の工場、世界の輸出基地としての役割から、大きな市場としての役割へと変化した。
中国企業も日本企業を凌ぐほど大きく成長し育って来たものも数多い。従って、日本企業も中国におけるビジネスの着想、システムを大きく変えて行かねばならなくなった。しかし、気持ちでは解かっているもののなかなか現実に身体で覚えられないのが昨今の課題である。
その意味では、銭湯の極楽湯(本社・千代田区、新川隆文社長)の上海進出は日本企業にとって大変参考になる事例である。同社は2013年2月に上海市浦東地区に同社の海外1号店「碧雲温泉館」進出したが、初打席ホームランでなんと初年度から黒字である。これに気を良くして2015年2月には、今度は上海市内に2号店「金沙も温泉館」を開店している。こちらも初打席ホームランで絶好調である。
まず、極楽湯の中国でのスーパー銭湯、特筆すべきは銭湯の規模であるが、ともかく大規模である。それは日本の銭湯の6倍、投資額は1億元(16億円)とこれも日本の3倍図抜けて高額である。そして、看板、駐車場ともかく何から何まででかい。そして、なかはお風呂だけではなく、SPA,ゲームーセンタ、カラオケルーム、日本食レストラン、東急ハンズのような店舗など一大アミューズメント施設となっている。
もちろん、温泉もただの温泉だけでなく、浴室エルアは9種類に分かれ、高濃度炭酸泉、露天岩風呂、絹水素風呂、日替わり風呂、岩盤浴とすべてが揃い日本の温泉文化を充分に堪能することができる。
● お客の主体は女子友
極楽湯の入浴料は、128元(2400円)と現地のコスト感覚だと信じられない程高額だが、10月の国慶節から3月の桜の開花宣言まではお店に入るのに平均で2時間待ちとなる。昼間から行列をなして銭湯に入る感覚は我々日本人からはなかなか理解しがたい。
入店者は1日平均で1500人(1月は、3000人)入店するから、月あたりで4万5千人、この半年で50万人集客することになる。特に、日本の正月にあたる春節の混雑の状況はすざましく、開店の10時から閉店の午前1時まで社員がくたくたになるほどの忙しさである。
そして、同店客層も日本とは大きく異なる。この極楽湯の日本食レストランで食事をしながらその様子を見ると、食事をしている17組のお客のうち12組は20代、30代の女性4、5人連れいわば女子友である。あと3組が家族連れ、1組がアベック、1組が男性1人であった。客層は全体の客も大体これに比例するようだ。もちろん、日本人客は1組もいなかった。
この日本食レストランもかなり大型のもので、寿司、天ぷら、刺身、うなぎと日本食ならなんでも揃っている。そして、値段も少し高額であり、ファミレスの様ではなくじっくりくつろげるものとなっている。私が入った時も昼間であるが女子会グループがかなり盛り上がっていた。
ともかく、店内を中国の若い女性ばかりが、好み、好みの(お客はゆかたが8種類の中から選べる様にとなっている。)のゆたかを着てぞろぞろと歩いている姿はあまり日本でも見ることはなくびっくりする。彼女たちにとって、ゆかた、銭湯は新しいファッションなのである。
● 日本橋の料亭を実現
もうひとつびっくりするのが、VIPルームである。このエリアはVIPの会員でなければ入ることは出来ない。そして、このVIPルームの一番のメリットは会員は2時間待たなくても極楽湯に入店できることである。
入会費は1万元(16万円)、2万元(32万円)、3万元(48万円)のコースがある。またこのVIPルームにはスーパー銭湯には似つかわしい会議室があり、トランプ・カラオケルームがあり、宴会場がある。そこには久保田などの有名な日本酒、高級なワインが揃っている。
ここで、特にびっくりするのが日本橋や新橋の料亭を思わせる宴会場のあることだ。今にも政治家や経営者が入って来そうな感じである。ここだけを見ているととても上海の銭湯とは思えない。
私が、この1号店「碧雲温泉館」の椎名晴信店長に「こんなに宴会場を本格的にしなければいけないのですか。」と質問すると、「本格的にしなければいけないのです。利用するお客さんの多くの方が日本の本物の宴会場を見ておりますから、そのレベルかそれ以上にしなければなりません。中国だからもどきで良いのでえはないかという判断は間違いですね。」と驚くような返事が返って来た。
続いて、「最初は、中国には13億人の人口があるから銭湯に興味がある人も多く居て、ある程度のお客さんは遠くからでも集まると思っていたのですが、実際に開業してみると半径15キロのお客が60%なのです。」と語る。店のある上海浦東地域の近隣以外の地域が40%であるから銭湯にはほとんどが電車などで遠距離からは来ないのでる。
● 銭湯の人件費は日本より高い
銭湯は日本と同様近くの人が来るのである。さすがに日本の様に歩いて来る人は少ないのだが遠くから電車やバスに乗っているという人はきわめてまれである 今後の日本企業の中国での経営戦略はハイテクを、精密な製品を、高級な製品を売り込むというこれまでの日本企業の戦略は大きく変更させた方が良い。
中国にはまだないサービス、システム、文化を売り込む。そのためには、極楽湯のように自社の強みの確認力と日本文化を中国風に味付けをするという人材確保の工夫力が必要になる。これはどの業種でも同様の話である。
現在、極楽湯の社員は170人、マツサージ師が20人いる。これもまた信じられない話だが、銭湯に限れば一人あたりの人件費はすでに日本よりも中国の方が高いといのことである。
どういうことかと言えば、中国の極楽湯ではほとんどの社員が正規社員であり、月の給料が4000元(7万円)、それに社会保険料、住宅積立金、良質な人材の確保のため社宅と1日3度の食事を提供しているこれらを加えると、非正規社員のウエイトの多い日本の銭湯の方が安いのである。
● 人材教育に力を入れる
さて、同社に取って一番重要な人材の確保と育成であるが、一般の社員の確保は先に述べた雇用条件に加えて、ものめずらしさもあり、また社宅と3度の食事を提供、それにボーナス、お年玉などのそれなりの工夫をしていてもそれほど楽ではないもののなんとか確保できる。
問題は、工場だとマネジャーにあたる主管と班長にあたる10人のリーダの確保である。これには苦労した。日本語が話せ、銭湯を理解でき、社員を指導できる人材だからである。責任者である主管にはある航空会社の客室乗務員の責任者をやっていた女性をスカウトする。10人のリーダも中国人人材紹介所などいろいろな情報のなかから探し出した。
彼女達には一度日本に来てもらい実際に銭湯を見て貰う。その後日本的なサービスを徹底的に教えた。銭湯はそこに勤める社員がいのち、開店前に一番力を入れたのはこの人材教育である。
予断だが同社の社員の定着率が今のところすこぶる高い。中国人にとって家族団らんで一緒に過ごせる一番大事な春節、国慶節の長期休暇に休みが取れず、かつこの時期がきりきり舞いになるほど忙しいのになぜか定着率が高いと言えば、先の述べた手厚い待遇面のほかに社員は意外だが自由に風呂に入れることと(もちろん勤務時間外だが)、家族も無料では入れることがことのほか大きい。
また、社員の両親が田舎から上海に来て128元(2400円)の極楽湯の湯に入る。そこでビールでも飲もうものならもう最高の親孝行である。そして、上海に到着した最初の夕食は会社持ちとなる。その気配りがすごい。おそらく社員の両親は本当に極楽気分であろう。うちの娘は良い会社に入ったということになる。
● 想定外は中国人の購買力
前出の椎名店長は、「ともかく日本と異なり毎日満員、大変な仕事ですから社員とのコミニケーシが大変大事です。定期的に3日に分けて社員全員との懇親会を開催いたします。店長が、日本人の管理職が、直接社員とコミニケーションを取ることが何よりも大事ですし、このことに一番注力していております。」と語る。
極楽湯の店内を歩いていると、いたるところで「いらっしゃいませ。」という元気な声がかって来る。これが実に気持ちの良い声である。連日満員というお客の多さが余計この元気を後押している様だ。
椎名店長のもうひとつの想定外は中国人の購買力である。極楽湯に来て、よくこれだけ買うとか思うぐらい買う、よくこれだけ飲み食いするかと思うぐらい飲み食いをする。普段はここまでやるのかと言うくらい金にシビアであるが、使う時も途方もない使いっぷりである。このことを身をもって感じたという。
極楽湯は今壮大な実験をしている。実は同社の国内の新規店舗の担当をこの上海店が行っているのだ。最近開店した鶴見店の立ち上げを行ったのはこの上海店である。前出の椎名店長は、「うちの店は、海兵隊の役割をしています。新規店舗は、新しい視点を入れる。新しいサービスを入れる。新しい営業活動を入れる。
こんな試みは上海店が一番良いのです。日本国内にいると、どうしても少子高齢化社会、成熟成長社会でデフレ的思考が先行し、消極的になりがちです。目の前の大きなユーザー見失ないがちになるのです。」と椎名店長が締めくくった。